在視覺藝術課學期也成了只留下後的一天。
それで先日の土曜日に、補講を兼ねて一年生と二年生の合同の授業をおこなった。
各学年の授業内では顔なじみの人の作品の変化を日々見てきたのだが、一年生と二年生の間でのコミュニケーションは今までは無い。
そこで二年生は卒業制作を、一年生は現在進行中の作品をそれぞれ見せあったが、知らない人に対してのプレゼンテーションの難しさを痛感する結果となった。
展覧会や写真集などで作品を見る(見せる)のとは違い、教室の机の上に並べられた写真はあくまでも過程である。
そこで他者に対して自分の作品を見てもらうためには、言葉を交えてのプレゼンテーションが必要になってくる。
自分の写真が今現在の過程を経て、何処に向かっていこうとしているのかを具体的に、もしくは熱意を持って語れた人が少なかった。結果、写真達が机の上から立ち上がって広がってゆく感覚をもち得なかった。
学校とはある種の閉鎖された空間でもある。その学校内でも身近な友人やクラスや学年単位という、更に閉ざされた世間に細分されていく。
眼下、自分の置かれている小さな世間に安住する事なく、常に未知の世界へ向かって投げかけていく姿勢を獲得する事こそ最重要課題である。
和、自分にも言い聞かせる。
眼下、自分を取り囲む世間を迎合しないこと。