ariphotoについて 2

「風の旅人 」vol.38(2009年6月発売号)より引用 

交差点で信号待ち。どこかで聞いた事のあるような鈍い音がした。嫌な音だ。固い骨と、柔らかい内蔵、その隙間を埋める液体の詰まった袋を地面に打ち付ける音。
 木を切り倒すようにゆっくりと、一人の男が路上に倒れた。
 休日の昼下がり、街ゆく人は一瞥さえすれど、誰ひとりとして構うことなく男の横を通り過ぎる。僕はと言えば、彼に対する心配の気持ちと、写真になるか否かとの打算的な考えが入り交じり、少し遠目に様子を伺いながらカメラのフォーカスをいじくっている。いつもこのように状況を傍観しながら、次に自分のとるべき行動を考えている。そのような自分の性癖については自覚的で、もはや嫌悪感すらない。男は路上の敷石に踞ったまま動かない。青信号が点滅すると、人々は横断歩道を早足で駆けてゆく。
 その鈍い音と通行人たちの反応は、数年前に遭遇した飛び降り自殺を連想させた。
 あれも休日の昼下がりの出来事だった。目的もなく雑踏を歩いていると、少し離れたところで「ドスン」と、セメント袋を地面に叩き付けたような鈍い音がした。特に悲鳴なども聞こえず、最初は何がおこったのか全く判断できなかった。落下音のした方に近付いて様子をみると、露天の移動ホットドッグ屋の前に黒い固まりが転がっている。よく見ると頭が見える。あれは人間だ。
 暫くするとサイレン音が鳴り響き、足を止める人やその場から足早に立ち去る人などが入り交じり、辺りはにわかに騒然となった。休日ののんびりとした空気を切り裂いたその異常事態のなか、僕の目はある一点に注目する。その光景は衝撃的ですらあった。それは現場から数メートルしか離れていないオープンテラスのカフェの客たちの反応。なんと、こともあろうにこの状況下、人々はその現場から目を逸らし、日常にしがみつくかのようにコーヒーを飲み続けていたのである! 

 お日様はサンサンとふりそそぎ、子供達は飼い犬とじゃれ合っている。カフェの客からすると、ごくありふれた晴れた休日なのだろう。ただ近くに死体が転がっているという一点を除けば。
 なるほど、この街において無関心は美徳ですらあるようだ。その場での正しい判断や行動について僕自身も答えを持ち得なかったが、凝視することで関心を持ってしまった事象におとしまえをつけるしかない。
 微動だせず、うつぶせに横たわる人間。路上に滲む鮮血。年の頃は20代中頃。やや肥満気味。黒っぽい上着に黒っぽいズボン、いずれも色あせているように見える。多分彼女はいない。顔、顔は見えない。
 頭上に目をやると眩いばかりの青空。男のたどった放物線を落下点からトレースするとその先に、ぽっかり開いた窓が力なく風に揺られていた。こんな空気の澄んだよい天気の日には、あの窓の反対側からは富士山がくっきりと見える。そんなこともこの男は知らない。
 古来よりこの国では亡くなった方を「仏さま」と呼んで敬っていたはずだが、ここに転がっているのはただの顔のない骸、デッドボディーにすぎない。テレビアニメにあるような、魂を天使が迎えにくる映像などは浮かびもしない。駆けつけた消防と警察によりその骸は毛布で覆われ、すぐさま担架で運ばれてゆく。世界を拒絶し、世界に拒絶された死に様は、都市統制機能により表向きに取り繕われ、なきものにされる。その間ものの数分、カフェの客は変わりなくコーヒーを飲み続けていた。僕はといえば写真も撮らず、ただ心の中で呟くだけ。
「ああ、目の前で誰かが死んだ。でも、僕は生きている」
「あんたはどうだい?、生きているのかい?」
 再び信号が青になり、男の周りにできた人垣は男を避けるように二分化されたのち、ごくごく自然に交わり一塊となって交差点の向こう側へと消えてゆく。そしてまた信号が変わり、男は交差点の歩道にひとり取り残される。街ゆく人にとって、あの男は人間などではなく、歩道を塞ぐ障害物にすぎないのだろうか。
「写真はだれもが知っているが、かまってはいられないものごとを扱うための道具である」そういったのは誰だったかな。なるほど、無関心劇場に残されたのは男と男を見る僕の二人きり。彼の人の言葉通り、たった一人の友人に向けシャッターを押し声を掛けてみる。僕の声に反応した男はゆっくりとその顔をあげた。蒼白な顔色、痩せこけた頬から彼の境遇が見て取れる。しかし窪んだ目の奥だけは爛々と輝いている。
「おなかがすいてしまって」
 突き刺すよう眼差しでありながら、やはりどこか力ない声で彼が呟いた。写真のお礼というわけではないのだが、僕はポケットから500円玉を取り出し、彼に差し出した。それを受け取ると彼はゆっくりと立ち上がり、感謝の言葉もなく、手を貸そうとする僕を気に留める様子もなく、あまりにもあっけらかんと、何事も無かったかのように横断歩道をわたってゆく。自らの行為の結果が予想外のものだったので、僕はあっけにとられ、その場で彼の後ろ姿を見送るだけであった。
 僕は彼に何を期待し、何を見ようとしていたのだろうか。今度は僕がこの交差点に取り残された。歩道の信号は点滅してまた赤になる。
 しかしこの豊かな気持ちは一体どこからやってくるのであろう。人助けをしたという自尊心などは微塵も無く、ただ胸が高鳴っている。きっと生きている彼の顔、未知なる表情を見ることができたからだろう。そして彼の体の異変にも、僕の偽善とも受け取れる行為にも、嘘は感じられなかった。自身の小さな価値観の掌から溢れ落ちた未知なるものに遭遇した時、どうしていいかもわからないまま、僕はただ写真を撮る。
 ところで、日中撮影した後の、街灯がともる時間帯が大好きだ。
 空の明かりと街の明かりが等価になったその刹那、いままでに訪れた場所のどこかであるような、またはここでもないようなファンタジックな世界を感じるからだ。空の明かりはビルを照らさず、ビルの光も空を照らさない。相殺された光の中、前も後ろも上も下も消え失せた世界が顔をもたげる。ほんの短いその時間、僕はこの世界の真ん中で、一日に撮った写真を反芻しながら心の旅を楽しんでいる。
 今日もしっぽり日が暮れた。エクスポーズド・フィルムと一緒にお家に帰ろう。
2009年2月 有元伸也

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