追悼、奥田明久アサヒカメラ編集長

訃報。去る10月2日、アサヒカメラ編集長の奥田明久氏が心筋梗塞により急逝なさいました。
まだ52歳、同日夕刻には有楽町で開催されていた日本写真家協会主催のフォトフォーラムで司会をされていたそうで、あまりにも突然の早すぎる死です。
告別式は近親者のみで執り行われたらしく、僕が訃報を知ったのは一週間以上が過ぎた本日になってのことでした。
奥田編集長はギャラリーオープン当初から頻繁に足を運んでいただき、アサヒカメラ誌上でも特集の記事を組んでいただいた。
縦縞の黒スーツにロマンスグレーの長髪、手にはいつも黒いアタッシュケースを持っていて、一見して堅気には見えない風貌で現れる。
加えてGARAMの香りと灰汁の強い話し口、就任されてまだ日は浅かったが、名物編集長という呼び名をそのまま体現されたような人でした。
まださほど認知もされていない産声を上げたばかりのギャラリーに対し、多くのページを割いていただけました事、誠に感謝に堪えません。
また仕事とは別に何度か飲みに誘っていただいた事もあったので、僕自身の地味な活動を気にかけてくれていたんだと思う。

最後にお会いしたのは今年6月、Jeremy Jangordの写真展のレセプションパーティーでのこと。
若者の多いパーティーを早々に切り上げ、表でGARAMを一服する奥田編集長。誘われるままに高田馬場の居酒屋で一緒に飲んだ。
程よくお酒がまわってくると、奥田編集長はいつものように「ありちゃん、ウチで新作やろうぜ」と声をかけてくれた。
しかし折角のお誘いに対して、僕は生返事ばかり。
その日も返事は曖昧なまま「夏の撮影が一段落したら、見せに行きます」などと。そう言ったきりになってしまったことが悔やまれる。

あまりにも遅くなってしまいましたが、必ず墓前に新作をお持ちします。不義理者の戯言、今一度お聞きください。

2006年7月28日、原宿にて。

2 thoughts on “追悼、奥田明久アサヒカメラ編集長

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    お知らせくださりありがとうございます。連絡が取れないのでどうされているのかとネットで検索して知りました。本当に惜しい人を亡くしました。
    いまだに信じられません。

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