ariphotoについて

「風の旅人 」vol.31(2008年4月発売号)より引用

 2006年の1月に四谷の路地裏に小さなギャラリーをオープンして以来、そこでの定期的な個展開催を自身の作家活動の中心に据える決心をした。展示する作品は毎回撮りおろすこととする。それにあたり以前使っていた古い二眼レフのカメラを久しぶりに手に取った。それまでは8×10インチの巨大なカメラで作品撮影をしていたのだが、いっこうに進む気配をみせない制作ペースに嫌気がさしていたのだ。当時の僕にとってその行為は原点回帰でもあり、新たなる挑戦でもあった。
 撮影場所は東京都内、主に新宿近辺とした。理由と言えば至極簡単。毎日のように通う自身のギャラリーに近いということと、一日に300万人が利用する日本最大のターミナル駅があるということ。肖像写真が撮りたかった僕にとっては、それだけでもこの街で撮影する理由となった。
 それからというもの時間を見付けては街へ出、気になる人を見付けて声を掛けて撮影させてもらう。そんな日々が始まった。街路を通り過ぎる人々の中から被写体となる人を見付けるのは砂を数えるような作業でもあった。ただし未知の大海に漕ぎ出すような壮大なものでもなく、極限られた範囲をグルグルと徘徊するだけの地味な行動。刺激的な出会いが毎日あるわけでもない。しかしともかく歩き続けるしかない。出会いはおろか、思考や発想も歩く二本の足の後ろにしか付いてこないと思い込むこととした。今思えば「人を撮る」という行為に偏り過ぎた始まりだった。

 一日中歩き回っても出会いがない、思いとは裏腹にそんな日々が延々と続いた。
 歩き疲れて足はクタクタ。それでも歩き続けていたのは、歩みを止めた瞬間に思考も停止しそうで恐かったからだ。本来の目的を見失い、不安を打ち消す為だけにトボトボと歩いていた。デートや食事にカラオケなど、目的地を持って意気揚々と進む人波のなか項垂れて歩く僕はまさに孤独。生産性もなければ消費行動もしないでくのぼう。とうとう路上に座り込んでしまった姿はさながらホームレスだ。立ち上がる気力も失って深い溜め息をつく。「一日10人撮ったら、一年で3650人!」そんな訳の分からない意気込みはもはや戯言に過ぎない。
 暫くうつむいたのち顔をあげると、目に飛び込んだのは歌舞伎町のビル群を照らす目映い夕日だった。そのビルの谷間に吹く上昇気流に乗り、ヒラヒラと舞う白いビニル袋。薄く小さなその存在は空想と現実、あの世とこの世を自由に往来する線香の煙のように見えた。ビニル袋の行方を目で追い、呆然と眺める様は祈りも似ていた。
 何処かで見た夕日。10年ほど前、20代の短くない時間を過ごしたチベットの夕日を彷彿させた。

 聖地カイラス山の麓、巡礼の拠点となるタルチェンという小さな村。今回の旅の締めくくりとして、カイラス山のコルラ(周回の巡礼路を回ること)を明日に控えていた僕は、掘っ建て小屋の巡礼宿でチベットの男たちとチャン(チベットの濁酒)を飲み交わしていた。敬虔な仏教徒はその生涯を掛けて一周42kmの巡礼路を108周するという。既に何週ものコルラを終えた男たちは、巡礼の喜びと肉体的疲労をその表情に同居させていた。仏に対する帰依の願いと自然に対する畏怖の念が、女たちが準備する夕飯の湯気と牛糞燃料が巻き上げる煙とともに狭い部屋に充満していた。
 女たちの作ったトゥクパ(チベットのウドン)をいただいていると、扉の隙間から冷たい風と共に放射状の光が差むのを発見した。「後光が射す」とはまさしくこのようなことであろう。注がれたトゥクパもそっちのけ、光の正体を確かめるべく表へ出た。それは雲の切れ間を引き裂いて、冠雪したヒマラヤの頂から轟く強烈な夕日だった。その光は草原の残雪をオレンジ色に染め、湿地帯の水面に乱反射し、とてつもない美しさを創造していた。刻一刻と移り変わるダイナミックな光景を小高い丘の上より只々眺めていた。
 天国というものがあるとすれば、きっとこんな所だろうなと思った。
 そしてその光景を決定的なものとしていたのは、夕日に目もくれずに日々の営みを繰り返している人々の姿だった。
 露天のビリヤード場で玉を付く男たち。
 その夕日を背に受けて、水汲みより戻ってくる母子が落とす長い影。
 日々この光景の中に居て、この光景を讃えることない彼等は、その心と体にこの光景を内包して自ら発光しているかのようだった。この光景に無関心な彼等は、無関心が故にこの光景に媚び諂うことなく今を生きている。旅行者である僕の目には、それがかえって誇らしげな様子として映ったのだった。

 歌舞伎町のビルの谷間に舞い上がった白いビニル袋は、やがて小さな点となり夕日の中に消えてゆく。
 我に返った僕は路上に座り込んだまま思考を押し進める。彼の地でその光景を美しいと思った僕がいま此の地で見たいもの。都市景観を讃えることなく、かといって貶めることもなく、だが確実にこの地で生きている、都市生活の体現者を撮りたいと直感した。
 路上の吸い殻、とっ散らかった段ボール、時には道化のように、時には芸術家のように、乱雑で無秩序なこの都市を内包して生きる「彼等」を撮りたいと思った。まだボンヤリとした輪郭しか見えないが、それを頼りに進むしかない。都市で写真を撮る行為は、同じく都市で生きる自身の体内への旅と昇華した。
 そしていまも新宿の路上を歩いて写真を撮り続けている。

 先日、地方での撮影の為、一週間ほど東京を離れた。慌ただしいスケジュール下での撮影だったので、旅気分には到底なれない。明確な目的と行為の結果のある、濃密だがどこか空虚な時間は瞬く間に過ぎてゆく。新宿で撮影している時のような葛藤はここでは必要とされない。撮影終了後、コンビニで缶チューハイを購入、ホテルの部屋でひとり酒。東京の自宅にいる時のようにくつろいでみたが、なぜか心は終止落ち着かずにソワソワとしていたのだった。
 復路の飛行機は夜間フライトだった。離陸して安定飛行に入ると同時に撮影の疲れから深い眠りに落ちる。次に目覚めた時にはシートベルト着用のアナウンスが流れていた。ずいぶんと眠っていたようだ。客室の灯りは点いていたが、意識は半分夢の中。窓におでこを押し付けながら自分の寝ぼけまなこをボンヤリと見ていた。機体はゆっくり高度を下げているようだが窓の外は真っ暗闇で、どの方向に進んでいるのかも判断できない。暗闇の中に何かを見つけようと瞳孔を開いて凝視してみたが無駄であった。あきらめてもう一眠りしようと姿勢を変えたその瞬間、機体は雲の層を抜けた。明順応できていない僕の目に突如として飛び込んだのは、真白に発光する広大な地表だった。海岸沿いの工場の営みから出立った光は、街角に光を零しながら高速道路へ乗り移り、渋滞中の車のテールランプを貫いて、都心の高層ビル群に集結していくように見えた。そのとき上空から見た東京は混沌の中に完全なる秩序を内包していた。そしてその姿を本当に美しいと思った。
 天国というものがあるとすれば、実はこんな所なのかもしれない。

2007年11月 有元伸也

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