写真が僕を熱くする2

「EXCUSE ME」の巻末、同行したライターによる撮影記が掲載されているのだが、こいつがまた泣かせる。
撮影中の出来事が淡々と記されているだけだが、それがなおいっそう現場の息遣いを濃くしているようだ。

韓国での撮影中、ある理由で逮捕された経緯が記されている。
読み進むうち、自身の撮影体験が甦る。

僕は1994年から1999年の多くの時間をインド、ネパール、チベット(現在の中華人民共和国チベット自治区)での撮影旅行に費やした。
その時、何度か公安(中国の警察)に拘束されて刑を受けた。
罪状は出入境管理法違反。
チベット文化圏は外国人非開放地区が多く、単独で旅行するにあたって非合法な手段を用いたからだ。

「昌都」というチベットの町で公安に拘束された際、最寄りの開放地区である「成都」に強制的に移送されることになった。
それで成都行きのバスが出るまでの数日間を公安の監視下で過ごすはめとなる。
拘束期間中、僕は一つの計画を練っていた。

公安の監視の目が緩むであろう、移送前日の夜中にここを抜け出し、チベットのラサまでの数百キロを徒歩で移動するというものだ。
担当の公安員には観念したふりをしながら、胸の奥を熱く滾らせていた。

そしていよいよ決行日。公安員が寝静まった頃を見計らって、高くそびえ立つ柵を乗り越え、僕は脱走を実行する。
公安局の柵の彼岸と此岸、この1メートル足らずの距離が、僕にとっての自由であった。

満天の星空の明かりだけを頼りに峠道を歩いた。

日が昇るその前に、出来るだけ遠くへ行けるように必死で歩いた。

体制なんかよりも自分の信じる世界に向かって体を立てたいという想いで歩みを進めた。

たぶん笑顔だった。

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